性の守護神お花大権現【徳島】
大阪から車で3時間ぐらいかけてはるばるやって来たのは、沢山奉納されたシンボル(陰陽物)と安産・子授・縁結び・夫婦和合・下の病平癒などの諸願成就で有名な「林下寺(お花大権現)」
大きな鐘を鳴らす。呼び鈴がわりにもなっているのか、鳴らすとご住職が出てこられ、私たちを迎えてくださった。
お花大権現の本殿に案内され向かう道中、すでに男性のシンボルの形をした石などが並んでいた。
いよいよ本殿である。
住職からシンボル崇拝や、シンボルを祀る全国の寺や神社、お祭りなどのお話を聞かせてもらい、そのあと参拝させていただいた。
しかもお菓子まで頂いた🍘🍘ありがたい。
そのあと御守りを買ったのだが、この御守り、表面は普通だが裏側は中々のインパクトがあり大変気に入っている。
(オモテ面)
(ウラ面)
その後は宝物館(有料)、こちらではかなり興味深いものを沢山見ることができた。
これは中をくぐることができれば無病息災だそうで、小柄な人でないと無理そうだけど、ご住職いわく意外と大きい人でも通れるらしい。。
ここでお花大権現の名前の由来となるお花さんについてだか、こちらでいただいたパンフレットやネットなどで調べたところによると、
元禄時代、才色兼備なお花さんというひとがある殿様のところに嫁に行った。(あるいは側室であったと伝えられている)
そこで大変寵愛を受けることになったため、周りの側室(あるいは正妻)の妬みを受け、ある年、殿が不在中に24才という若さで絞殺された。
その後城中には奥女中(あるいは正妻)や家来が変死を遂げる怪事件が頻繁に起こった。
帰城した殿様は、お花の不在に不審を抱いていたところ、ある夜死んだはずのお花がぼう然と殿様の枕元にたち、惨事のさまと性の御仏になることを告げた。
「世人のために、腰から下の病をなおして、その苦痛をなおしましょう。しかし病気が治ったら殿に愛される間の短かった肉体の慰安の代りのために、珍器の形代を納めさせて貰いたい」という。
そこで不憫に思った殿様は城内に立派な祠堂を造りお花の霊を供養した。その後は怪事件も納まったそうだ。
(*写真でモザイクをかけているのは奉納された方のお名前など入っているためです)
その後、善達という僧がこの東みよし町の観音堂に御霊を移されたので、祀られる内シンボル(陰陽物)を奉納するようになった。
(シンボルを(性器)を祀るのは原始時代の信仰でシンボル崇拝がルーツである。)
と、まあだいたいこんな感じ。もっと詳しく書いてあるのも発見したが長くなるのでパンフレットを参考に書かしてもらった。
シンボル達に囲まれているのは妖艶な弁天様
お花さんのイメージなのだろうか。。。
お花さん事件には様々な諸説がある。調べていくとお花が寵愛を受けていた場所ですら播州でなのか作州津山でなのかどっちかよくわからなくなってきた。わたしの頭が悪いからかもしれない。
そしてもう一つだけ。興味深い話を知った。
岡山県津山市の伝えによると、お花は岡山県勝間田町の豆腐屋の娘で、隣の茶屋で茶汲みの手伝いをしていたところ家老の原十兵衛の眼にとまった。
そして事件にはもう一つの説が裏話として残っている。それは家老の原十兵衛がお花を大変寵愛したので、正妻が嫉妬し、殿の不在中お花を庭石に縛り付けて惨殺してしまった。そして性器の部分を切り取り「なます」にして殿に食べさしたというのである。これが実話のようであるが、同市の徳守神社の宮司の話によると「お花さん事件の真想があまりにも卑猥で聞くに耐えぬ話なので前の説を事実のように伝えたのでしょう。」とのこと。
えっ?!なます??!怖い!!
😱😱😱😱😱
それにしてもいつの世も妬みや憎しみからは悲劇しか生まれないなぁ。
外は少しだけ雪が残っていた。
今はやってないとは思うが、お花食堂やお土産物屋さんなどがあったようだ 。
やってたらよかったのにな。